岩手県九戸郡洋野町八木魚市場の関根商店 最高の鮮度管理と銀色に輝く鮭から生まれる珠玉のいくら 極上の塩いくら
八木魚市場の目の前100m先の定置網に掛かる銀毛の鮭 水揚げ、競り、加工まで、鮭は氷水に漂い、鮮度抜群の状態で塩いくらに加工 これ以上の素材もなければ、これ以上の加工もない。 関根商店の関根篤志さんは言います。 『特別な仕事なんて何もしていなし、これといった加工技術も 全く持っていない。加工場を見たい人がいれば見せます。 素材が良いから何も俺はすることないよ。』
達人の域に達した料理人はレシピを公開しますが、似ています。
『レシピを知っても、作れるわけではない。』 まさに、同じような自然体の強さを感じます。徹底的に鮮度にこだわり、無駄なことはしない。それが関根さんのポリシーです。
日本有数の衛生管理設備を誇った八木魚市場は、 津波でただの市場に
関根商店から100mほど離れた場所に、関根さんが鮭を仕入れる八木魚市場があります。八木魚市場は大日本水産会の優良衛生市場認定を受けた最新鋭の衛生管理システムを備えた市場でしたが、津波で徹底的に破壊され、今は瓦礫を片付け、がらんとした、ごく普通の地方の小市場になっています。
八木魚市場の前浜の定置網に掛かる 極上の銀毛の鮭
岩手の鮭と言うと、鼻曲がりのブナ(産卵が近くなり婚姻色が強くなった鮭)というイメージがありますが、八木港の前の海はまだまだ外海で、鮭は銀色に輝いています。
水揚げ港(八木港)から100〜200mにある定置網に朝方出漁し、獲って港にすぐに戻ります。船には氷を積み込み、魚を水氷に漬けて鮮度を保ちます。
さらに、港に水揚げした直後から氷水水槽で鮮度を保ちます。
午前10時にセリを行いますが、関根さんは「その中でも高鮮度の魚だけ」を競り落とします。
入札直後、港からわずか100mの関根商店の工場に、魚市場の氷水水槽のまま素早く搬入します。まさにこれ以上の鮮度はあり得ません。
愚直な製造工程
鮮度抜群の鮭を搬入後、素早く解体し、腹出し(卵取出し)作業を行います。
卵(筋子)は機械で簡単にほぐします。
次いで、飽和塩水で卵の魚質に合わせて攪拌(かくはん)時間を調整しながら「塩水漬け作業」を行います。
こだわりの飽和塩水製造方法
ただ塩水とイクラを混ぜる単純作業の場合、塩の粒子が塩水中に残り、塩イクラが安定した品質になりません。そこで関根さんは、完璧を期してボイル機械で製造した飽和塩水を使用します。
今回の震災でボイル用の機械が壊れ、今シーズンのイクラ製造が遅れ、ようやく機械が搬入され、塩いくらの製造を復活させました。
塩水漬け終了後、素早く網に乗せて塩水をきり、冷暗室(5〜6℃位の部屋)で一晩
16時間ぐらい塩切り、熟成工程を行います。
翌朝一番に「箱詰め」を行い、「-40℃以下の冷凍庫で急速凍結」をして保管します。
口に皮が残らないだけではなく、 イクラの後味も残らない“まさに絶品”
味付けの醤油いくらは、確かにちょっと食べる分には美味しいかもしれませんが、関根さんの塩イクラには市販されているイクラとは別の魅力があります。
粒はプチプチですが、口には皮は残りません。たくさん食べてもイクラくささは舌に残りません。そこが素晴らしいです。たっぷり食べても、また食べたくなる味です。
逆を言えば、濃厚すぎるわけでもないし、雑味もないので、科学的な濃厚な味付けに慣れた舌には物足りないかもしれません・・・・
本物は地味に主張し、また、食べたくなる不思議な魅力があります。
二階まで津波にのまれた関根商店 “塩いくら復活は復興の一歩”
近くの八木魚市場が津波で破壊されたと同時に、関根商店の建物・設備も大きな被害を受けました。関根さんも一時は途方にくれていましたが、『秋鮭は必ず戻ってくる。それまでには工場を復活させよう!』との思いで、必死で再建をしてきました。
小さな工場ですが、取材の時には、多くの女性たちが元気に働いていました。秋鮭が戻ってきて、浜が活気に満ち、鮭を取り巻く人々に働ける喜びがあふれる。
震災からの復興とは、こうした小さな復興の積み重ねだと痛感した取材でした。
株式会社 食文化 萩原章史